2001年を境に激動の世界(私にとって)に入り込んでしまった今日この頃。1980年代、90年代,そして2000年代の私の旅のあとさきを伝えていきます。 http://tabinoatosaki333.at.webry.info/もご覧下さい。
2012年1月6日金曜日
旧態依然
イランによるホルムズ海峡封鎖の可能性を述べる報道がありました。欧米の対イランに対する対抗措置のようです。東西のアジアの国が騒がしくなっています。長い間、解決できない北朝鮮の核問題に振り回されるUSAと仲間たち。片や西のイランでは核(兵器)問題に神経を尖らす欧米諸国がいます。特に、今日は、英国外相がホルムズ海峡が封鎖されれば軍事行動も辞さないとコメントしました。未だに白人社会を中心にした国際社会の意に添わなければ叩かれる世界の状況は19世紀から変わらない旧態依然の状況です。
強い国が核(兵器)を持つことが当たり前で、経済的にも苦しい国が核(兵器)を持つ事は許さないと云う理屈は、あらゆるものを持たざる国にはどうしても納得できないと思います。上から目線でものを見がちな白人社会の思考方法は、アジアの人々の誇りを傷つけてきた歴史の繰り返しです。常に「丘の上の町」の住人の意識があるように感じます。仰ぎ見られる存在になるのならば、どうぞ、進んで核を放棄してください。豊かになった国の人々に比べて、誇りを持つアジアの人々は貧しさには耐える術を知っています。恐らく、戦争になればベトナム、
アフガニスタン、イラクの二の舞です。
2011年11月10日木曜日
イタリア
ギリシャからイタリアに移った金融危機の報道。イタリア国債10年物の流通利回りが7%台になり、危険水域になっているとの報道(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111109-00000996-yom-bus_all)。
首相が代わっても状況は変わりそうにないと思いますが・・・。80年代からこれまで17人の首相が登場したイタリア。第二次大戦後からキリスト教民主党という政党が80年代になるまで政権を担ってきましたが、汚職で政権を失い、その後、いろいろな政党が政権を担っています。そして、90年代、実業家でもあるベルルスコーニが登場。02年、EUでユーロの流通が始まります。欧州もグローバル化を目指した、政治と経済の時代に突入しました。「自由」という言葉に弱い、現代政治と経済。94年、ベルルスコーニ自身が立ち上げた政党がフォルツァ・イタリア(自由の極)。自由と経済。自由奔放な生活。実業家のベルルスコーニは時代の申し子だったようです。
首相が代わっても首相はイタリア人。英国人か北欧人が首相になれば状況は変わるかもしれません。
科学よりも長い歴史を持つキリスト教で培われた欧州人。欧州の北と南では民族も違えば、同じキリスト教でも考え方が違います。金融問題に対する地中海沿岸の国々の人々の考え方、対応を、欧州北部の人々は理解しているはずです。理解しながら、科学的な解決方法で問題の収拾を図っています。80年代から起きている世界の金融危機は大体10年ごとに繰り返されています。USAより小さい大陸に様々な思考方法を持つ人たちが住む欧州。政治、経済のグローバル化に事を急ぎ過ぎているようにみえます。ユーロを扱える国の条件の一つが、財政赤字をGDPの3%以内に収めるということでした。債務は60%以内。しかし、その条件を満たしている国は何か国でしょうか。以下はロイターの記事です。
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-24084220111109?pageNumber=3&virtualBrandChannel=0&sp=true
2011年10月13日木曜日
ギリシャ
ギリシャの金融危機、曳いては欧州の、世界の金融危機に拡大しそうな雰囲気のニュースが流れ始めています。今夕のNHKのラジオ番組で現地ギリシャに住居する日本人女性に現地の様子を聞いている放送がありました。ギリシャからスペイン、イタリア、ポルトガル(アイルランドは経済破綻済み)などが危ないといわれて、経済力のあるといわれる独仏の中心にしたEU各国が、どう処理するか現在対応中です。不思議と地中海沿岸の国々に集中している金融危機の国々。経済問題ですが、キリスト教という宗教面から観察すると面白いと思います。典型的なキリスト教、カトリックの国々です。16世紀にそれまでのキリスト教にプロテストし、新しい宗派ができました。現在の経済の源流はそこから始まっているように見えます。
先日のバルカン、トルコ(イスタンブール)で聞いた現地ガイドのEUに対する見方。クロアチアもトルコもそれまでのEU加盟した国々(旧東欧)のその後を観てきています。戦後に、それまでの欧州の戦争、戦争の歴史に別れを告げようということで始まった欧州の一体化。ところが90年代になって経済面の欧州に力点が置かれ生身の人間の生活がなおざりにされつつある状況。EU加盟の後発国は既存国ほどには豊かになっていません。結局、現在の経済システムは市場を大きくしないことには成り立たない経済。人間生活と同じように、EU内でも富める国とそうでない国に分かれつつあります。その事をクロアチアのガイドもイスタンブールのガイドも気づいていました。
ギリシャのストも理解できます。公務員も副業を持てる国が地中海沿岸の国。生活が大変で共働き、掛け持ちで仕事しながら生活している人々がいます。その生活の糧を得る手段が無くなるのは大変です。
欧州人も北と南では生活習慣、考え方がは全く違います。カトリックとプロテスタント。生活に影響を与えてきたキリスト教。
2011年9月30日金曜日
要らぬお節介
昨日、関西空港に帰着しました。
到着階の銀行で再両替をしましたが、その時の様子を。
再両替の用紙を書き込む時にもう一人、客がいました。
彼女は銀行のスタッフから何か言われた風でした。両替カウンターの手前で「両替するお金を数えますから」と。
要らぬお節介です。添乗を遣っている人間であれば外国紙幣も見慣れて、使い慣れているはずです。
再両替する通貨を数えられない訳はありません。時間も無く先を急いでいたので、私は断って自分で紙幣を数え、再両替の用紙を記入して、カウンターの窓口に提出しました。その間、5分もかかっていません。簡単に出来る作業。先に両替を済ませた私は、紙幣を数えてもらっていた女性に「順番は守ってください!」と叱られました。
彼女も添乗員でした。
しかし、可笑しな商いです。今回は再両替する客は二人だけでしたが、客が多いときはどうするのでしょう。
わざわざ、外国紙幣を数えてやって窓口に並ばせているのでしょうか?客が多いときは対処できないと思いますが・・・。急いでいる客は堪りません。恐らく、外国であれば、「何故、自分の金を他人に任すのか?」と不思議に思う筈です。あるいは、関西の客には両替も人任せの人が多くて考え出された商いでしょうか。
到着階の銀行で再両替をしましたが、その時の様子を。
再両替の用紙を書き込む時にもう一人、客がいました。
彼女は銀行のスタッフから何か言われた風でした。両替カウンターの手前で「両替するお金を数えますから」と。
要らぬお節介です。添乗を遣っている人間であれば外国紙幣も見慣れて、使い慣れているはずです。
再両替する通貨を数えられない訳はありません。時間も無く先を急いでいたので、私は断って自分で紙幣を数え、再両替の用紙を記入して、カウンターの窓口に提出しました。その間、5分もかかっていません。簡単に出来る作業。先に両替を済ませた私は、紙幣を数えてもらっていた女性に「順番は守ってください!」と叱られました。
彼女も添乗員でした。
しかし、可笑しな商いです。今回は再両替する客は二人だけでしたが、客が多いときはどうするのでしょう。
わざわざ、外国紙幣を数えてやって窓口に並ばせているのでしょうか?客が多いときは対処できないと思いますが・・・。急いでいる客は堪りません。恐らく、外国であれば、「何故、自分の金を他人に任すのか?」と不思議に思う筈です。あるいは、関西の客には両替も人任せの人が多くて考え出された商いでしょうか。
2011年9月2日金曜日
ビジネス
今回、ソウルの移動にタクシーを利用する事が多かったのですが、そのタクシーの運転手さんとの話です。
因みに、乗り降り自由なソウルシティーツアーバスを利用して市内を回ろうとしましたが、一時間当たりの本数が少ないので使い勝手が悪く諦めました。30分に一本のバスを捉まえられなければならないので多くの観光場所をまわれません。
韓国も日本同様、労働者の人件費が上がり他国で商品の製造を行う業種が多いとの事。特に近隣の中国に進出して事業を行った中小企業は志半ばで撤退している企業が多く、相手が製造のNOW HOWを手に入れてしまったら用無しにされてしまった企業が多くて、資本の大企業でないとなかなか事業継続は難しいことの事。教訓となって、IT関連の企業は中国には進出しない。80年代の日本の中小企業と同じ道を歩んできたようです。合弁会社という形態で事業が行われ、当時の中国は外貨の持ち出しを禁止していました。日本人観光客は、兌換券という(外国人旅行者専用の)紙幣に両替して友諠商店で買い物をしました。街中の店では中国紙幣(人民元)しか使えませんでしたので、不便な紙幣だったことを憶えています。
いろいろな規制の中で中小企業が事業を行うのは易しいことではなかったと思います。韓国の中小企業も同様でした。しかし、そんな中国も経済的に豊かになり、韓国への旅行者も増えています。2年ほど前から始まった工事があります。国際空港のある仁川からソウルまで運河を造る工事が進行中との事。飛行機ではなく船を使って遣って来る中国人旅行者の為に行われている工事のようです。仁川はソウルから約70kmほどあります。一度、現場を見たいものです。
韓国
最初に韓国(ソウル)に行ったのがソウルオリンピックの前年ですから、86年か87年頃です。今回のソウルと違い当時は日本人に対して構えた感じの人達が多かったように記憶しています。日本語を理解できる年輩の韓国人がたくさんいるから決して批判するような話はしないようにと釘を刺されました。日韓併合という歴史の流れの中で、日本で生活する事になった朝鮮半島の人々は、日本で一生懸命に生活して財を成して一家を構えました。そのような人々が故郷に錦を飾れることが出来るようになっても、ソウルでは「キッポ」と呼ばれて辛い思いをしているということをガイドが話してくれました。しかし、そのような当時の雰囲気を今回は全く感じませんでした。日本同様、世代が変わっています。タクシーの運転手、ホテルのフロントスタッフそしてレストランのスタッフの対応で日本語を喋る若い人達がたくさんいます。政治ではギクシャクしている事があっても、これも韓国の一面です。政治が信用されなくなっている現代、個人の繋がりが世界を変えていく可能性が拡がっています。
ソウル旅行
先月29日から2泊3日の韓国旅行を遣ってきました。仕事柄、両親の死に目、葬儀にも居合わせる事が出来ず姉妹に任せっきりで過ぎたこの二〇年余り。そんな姉妹(夫婦)へのせめてものお礼で敢行したソウル旅行です。しかし、個人旅行とは言え知らず知らずのうちに仕事モードに入っていた3日間でした。昨日、帰宅して久しぶりにぐっすり休みました。そんなソウルも6年ぶりで、97年(?)にアジアの金融(通貨)危機で破綻した韓国はずいぶん変わっていました。直後は、西欧(海外)への韓国人旅行者がぱったりと居なくなり、統制の取れた韓国事情に感心しました。そこから立ち直り、現在の韓国です。韓流ブームにのって日本からの女性観光客を明洞でたくさん目にしました。姉妹もその一人ですが・・・。明洞の活気は韓国の一面を語っていると思います。元気です。
2011年8月22日月曜日
ロシア
昨日帰国したロシアでの観光は、モスクワとサンクトペテルブルグ、そして黄金の環といわれる中世の町並みが残る地方都市でした。広い国土に未だ見ぬ都市、町がたくさんあります。
サンクトのガイドと話し込む時間が有りましたので、その様子を。
モスクワも、サンクトとも街中を走っている乗用車には日本や西欧の高級車が目立ちました。サンクトにはトヨタ、レクサスのディラーも有ります。購入者が居るから店が有るわけです。九一年のソ連崩壊から二〇年です。ものすごい勢いで経済規模が膨らんでいます。宿泊したホテル プリバルチスカヤは1970年代のソ連時代に建てられたホテルですが、2008年に外国資本のホテルになっています。ハード、ソフト面共に良くなりました。観光客にはありがたいことです。政治的には社会主義時代の強権的な体勢の残滓を捨ずに市場主義経済を導入しています。結果、欧米以上に貧富の差が生まれているように感じます。ロシアは未だに徴兵制を維持しています。今回、一緒に仕事したガイドも25年の兵役を終えて年金を貰っています。ペレストロイカ後に不動産業に従事し、日本で10年ほど仕事をしていました。帰国後、自身で5件の不動産を所有しています。25年間務めた兵役のおかげで不動産に税金はかからないとの事。国に尽くした褒美でしょうか。しかし、徴兵義務で徴募された若い人々は兵役が終わると地方では職が無く失業状態の若者も多いとの事。安い労働力が周辺のキルギスやカザフスタン等から入ってきています。良い職に付ける機会は高等教育を終了させることですが、その教育を受ける機会も難しくなっています。社会主義時代のお金が無くても平等に教育を受けることが出来なくなり、金が無ければ高等教育を受けられなくなっています。レストランの給仕の女性は16歳のキルギス出身でした。ガイドの子供達は、弁護士、刑事、コンピュータープログラマーです。兵役義務のあるロシアの若者は銃を所持しています。経済的な格差による若者の不満は鬱積しているとの事。ガイドの「爆発してもおかしくないよ」のコメントは、ロシアの見た目よりも深刻な様子でした。
2011年6月2日木曜日
イブン・バットゥータ
以前、購入した本の読み直しをしています。イブン・バットゥータ(前嶋新次郎訳)の「三大陸周遊紀」です。現在のモロッコ・タンジール生まれの14世紀に実在したイスラム教徒です。添乗の参考になるかな、と思いながら途中で挫折した本です。しかし今回、読み直してみて、すっーと頭に入ってくるようになりました。ようやく気持ちに収まってきました。面白い、文章がありましたので紹介します。「・・・。伝えによれば、ある日、中央アジアのブハーラーの町の樹園を通りかかり、運河の水で沐浴をした。そこへ林檎が流れて来たので、拾いあげて食べたが、心中にこれはすまぬことをしたと思い、樹園の持主のところへ赦しを請いに出かけた。ところが、その園の半分はある婦人の所有で、他の半分は土地の国王の持物であり、しかも王はそこから十日行程のバルクの町に住んでいるとのことであった。アドハムは、はるばるとそこまで林檎半分を無断で食べた罪のゆるしを請いに出かけた。」8世紀頃の話です。
2011年6月1日水曜日
業界
2011年5月30日月曜日
O104
ドイツが22年に原発を廃止するとの報道。11年先です。政権が変わって、また、政策の変更の無い事を願います。と言うより、政策云々の問題ではない、もっと次元の違う問題のように思います。現状とは異なる判断に拍手。
5月に入ってドイツで発生した腸管出血性大腸菌「O104」の患者数が拡大しています。
どうしても人間と地球(自然)が共生している姿には見えません。今回、原発の問題が地球規模になり、それでは自然エネルギーを活用しようという動き。太陽、風そして地熱などの自然エネルギーとして使えるものは総て自然の所有。共生という概念が本物であれば、もう少し自然の様子を考えたいものです。人間の都合による共生では、自然は振り向いてくれない。
今週末には添乗出発です。腸管出血性大腸菌は加熱すると死滅するようですが、海外事情に敏感に反応してツアーキャンセルにならないとこと祈るのみです。しかし、2011年、何という年でしょうか。
5月に入ってドイツで発生した腸管出血性大腸菌「O104」の患者数が拡大しています。
どうしても人間と地球(自然)が共生している姿には見えません。今回、原発の問題が地球規模になり、それでは自然エネルギーを活用しようという動き。太陽、風そして地熱などの自然エネルギーとして使えるものは総て自然の所有。共生という概念が本物であれば、もう少し自然の様子を考えたいものです。人間の都合による共生では、自然は振り向いてくれない。
今週末には添乗出発です。腸管出血性大腸菌は加熱すると死滅するようですが、海外事情に敏感に反応してツアーキャンセルにならないとこと祈るのみです。しかし、2011年、何という年でしょうか。
2011年5月29日日曜日
原発
1980年代後半、西ドイツではグリーンピースという自然保護団体が活動していました。やがて緑の党になって政治に参加します。連邦議会にも議席を持つようになり、最近は州知事も誕生しました。
80年代の西ドイツは原子力発電の新規建設中止、稼働中の原子力も将来は廃止という状況でした。ソ連と合衆国の冷戦の時代で、核戦争への反対もありました。ところが、いつのまにかその話は沙汰止みになりました。そして、今回の福島の原発の問題で、メルケル政権は脱原発に舵を切っています。脱原発で、廃止ではありません。
核も原発も、その事故が引き起こす結果を我々はおぼろげながら解っています。感じています。我々以上に情報を持っている政治家がいつまでもぐだぐだと未練がましく、核を原発の延命策を計っています。上っ面を舐めるような話だけで、うんざりです。
80年代の西ドイツは原子力発電の新規建設中止、稼働中の原子力も将来は廃止という状況でした。ソ連と合衆国の冷戦の時代で、核戦争への反対もありました。ところが、いつのまにかその話は沙汰止みになりました。そして、今回の福島の原発の問題で、メルケル政権は脱原発に舵を切っています。脱原発で、廃止ではありません。
核も原発も、その事故が引き起こす結果を我々はおぼろげながら解っています。感じています。我々以上に情報を持っている政治家がいつまでもぐだぐだと未練がましく、核を原発の延命策を計っています。上っ面を舐めるような話だけで、うんざりです。
2011年4月20日水曜日
帰国
本日、ベトナムから帰国しました。ハノイ発が真夜中で成田までの飛行時間は約5時間。帰国便の日本との時差は+2時間で機中で眠れる時間が少ないのがキツイです。しかし、欧州や米国との時差の身体への影響を思えば楽なほうです。そのような機内で、東日本大震災に起因する原発事故発生直後に日本を離れてベトナムに帰国していたベトナム人家族(ご主人)と隣席になりました。埼玉のIT関連の会社で技術者として働いていますが、外国人への避難勧告が出て直ぐに関東を離れ福岡から離日したそうです。報道で見聞していた外国人の離日の様子を改めて実感した次第。彼の会社の15%ほどは外国人のスタッフで、その内の10名の中国人は全員帰国して戻っていないようです。家族持ちの彼も不安な気持ちを懐きながら家族と共に再来日しています。話を聞いていると、離日の際はパニックに近い状態でベトナムに戻ったようです。原発周辺から非難せざるを得なくなった人たちには大きな苦労、負担が係っていると思いますが、日本がどのような状況になっても私には帰るところはこの国しかないのでその状況に合わせて生活していくしかありません。報道機関によっても国によっても情報の流し方はそれぞれです。
情報が取捨選択で行われている以上、同じ事故でも印象は変わります。添乗の仕事を遣っていても、海外で起こった事件、事故の日本での報道が、現地で受ける印象とはだいぶ違うことが結構あります。現地取材に当たる1人か2人ほどの少人数の記者が発する報道・記事に影響を受けがちです。用心、用心。
情報が取捨選択で行われている以上、同じ事故でも印象は変わります。添乗の仕事を遣っていても、海外で起こった事件、事故の日本での報道が、現地で受ける印象とはだいぶ違うことが結構あります。現地取材に当たる1人か2人ほどの少人数の記者が発する報道・記事に影響を受けがちです。用心、用心。
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