2001年を境に激動の世界(私にとって)に入り込んでしまった今日この頃。1980年代、90年代,そして2000年代の私の旅のあとさきを伝えていきます。 http://tabinoatosaki333.at.webry.info/もご覧下さい。
2011年9月2日金曜日
ビジネス
今回、ソウルの移動にタクシーを利用する事が多かったのですが、そのタクシーの運転手さんとの話です。
因みに、乗り降り自由なソウルシティーツアーバスを利用して市内を回ろうとしましたが、一時間当たりの本数が少ないので使い勝手が悪く諦めました。30分に一本のバスを捉まえられなければならないので多くの観光場所をまわれません。
韓国も日本同様、労働者の人件費が上がり他国で商品の製造を行う業種が多いとの事。特に近隣の中国に進出して事業を行った中小企業は志半ばで撤退している企業が多く、相手が製造のNOW HOWを手に入れてしまったら用無しにされてしまった企業が多くて、資本の大企業でないとなかなか事業継続は難しいことの事。教訓となって、IT関連の企業は中国には進出しない。80年代の日本の中小企業と同じ道を歩んできたようです。合弁会社という形態で事業が行われ、当時の中国は外貨の持ち出しを禁止していました。日本人観光客は、兌換券という(外国人旅行者専用の)紙幣に両替して友諠商店で買い物をしました。街中の店では中国紙幣(人民元)しか使えませんでしたので、不便な紙幣だったことを憶えています。
いろいろな規制の中で中小企業が事業を行うのは易しいことではなかったと思います。韓国の中小企業も同様でした。しかし、そんな中国も経済的に豊かになり、韓国への旅行者も増えています。2年ほど前から始まった工事があります。国際空港のある仁川からソウルまで運河を造る工事が進行中との事。飛行機ではなく船を使って遣って来る中国人旅行者の為に行われている工事のようです。仁川はソウルから約70kmほどあります。一度、現場を見たいものです。
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