2013年9月17日火曜日

伝統


シリアの問題が動き始めました。
しかし、相も変わらず同じ事の繰り返しです。
国連の調査団はサリンが使われていた事を報告しました。
露の提案で、化学兵器の放棄を受け入れたとされるシリアが確実に放棄を実行に移さなければ、
米英仏は軍事行動を起こすとプレッシャーをかけています。
どっちに転んでも機能しない安保理はすでに過去の遺物です。
人間の作った法律で世の中を収める限界が見えています。
法律に、言葉に我が身を収めがちな日本人と違い、多くの法治国家で、我が身に合わない決まり事には都合の良い解釈を加えて簡単にすり抜けています。
人権も国際法も、こちら側にとっては後生大事に抱えていかなくてならないものでしょうが、
あちら側では生きていくために必要不可欠なものではないかもしれません。
第二次大戦、ベトナム戦争以後、何にも変わっていない政治。本当に同じ事を繰り返しています。
 仰ぎ見られる「丘の上の町」建設を目指した清教徒の意志を引き継ぎ、右の頬を打たれたら左を頬を打ち返す現在のUSAが変わることでしか世界は変わらないと思います。そうでなければ、英国の伝統を打ちこわし新世界に自由の国USAを創り上げたUAS自身が英国になってしまいます。都合の良い解釈で乗り切れるほど簡単な世界ではなくなっています。機能しない法律、組織は変わらなくてはなりません。それが、現代の自由です。
写真は、オランダのクレラー ミューラーの所蔵作品です。

2013年9月12日木曜日

PLOMISED LAND



久しぶりに映画の話しです。
Matt Damon 主演の「Promised Land」。
映画は、石油に代わるエネルギー、天然ガスの一種であるシェールガスを巡る人間模様です。
頁岩の中に貯留されたガスを採掘する技術が開発されて、一気に商業化が進みました。日本へも、近々、輸入されるようです(ひょっとして、輸入されたでしょうか?)。
映画は、シェールガス埋蔵地の地権者と、そこを買収しようする企業、それぞれの思惑が面白い筋立てになっています。
USAの多くの映画に見られる、結を善悪で締めくくる軽さも無くて見応えの有る内容でした。
シェールガスの採掘方法に関しては、昨年辺りから情報が発信されており、今年始めにBSでの放送も有りました。地権者だった人々をドキュメンタリーで描いています。
しかし、このような映画が創り出される
USAの自由さ、懐の深さには感心させられます。
写真は、ニュージーランドはオークランドのアートギャラリーの作品です。

写真はオランダ、クレラーミューラー博物館の所蔵作品です。

自由

 





 現代の「自由」は「破壊」と「創造」の繰り返しで、共に莫大なエネルギーを要します。
現在が「破壊」の時なのか「創造」の時なのか定かではありませが、産まれて半世紀、「自由」が新しい何かを産み出したようには思えません。現代社会を創り出した「自由」への執着が、「破壊」を大きくしています。
70年代、共産、社会主義に対するUSAの自由主義は、終戦を見定める事も出来ず、ベトナム戦争の泥沼に嵌まっていきました。
80年代、アフガニスタンでは、宗教は麻薬と唱える社会主義に対して、自由主義のUSAがアフガニスタンに首を突っ込んでイスラム教に肩入れします。しかし、90年代、USAと共闘してきたイスラム社会は、USAの「自由」に反旗を翻します。
イスラム原理主義。
イラク戦争。
USAの有志連合で開戦した結果は、イラクを混ぜ返すだけ混ぜ返して戦争終結宣言。
ニューヨークの世界貿易センターが攻撃、破壊されました。テロ?
USAの関わる戦争が特定の国を相手とする戦争で無くなりつつある現代、戦争を起こす理由は「国益」に関わる事になっています。
国益と言う国の欲。
国連安保理でシリア攻撃が否決されてもシリア攻撃にこだわるUSA。
まるで、いつか来た道を歩み続けているようなUSA。
「丘の上の町」と言う、仰ぎ見られる町になる事は、ますます、遠のいているUSA。
自立、自律の伴わない「自由」を蔓延させたUSAの行き着く先は何処でしょうか?
USAの「自由」の終焉?

写真はオランダ、クレラー ミュラーとニュージーランド、オークランドのアートギャラリーの所蔵作品。

2013年7月8日月曜日

自由


 エジプトがおかしいです。
現代エジプトで初めての民主的な選挙で選ばれた大統領が辞任させられました。
意見を異とする反大統領の民衆側についた軍隊が出動して、事を収めようとしています。
民主国家の姿ではありません。大統領を支持する民衆もいます。
事は簡単に収まりそうにありません。他のアラブ諸国と同じようになるのか。
対立の様相は、ムスリム同胞団という原理主義を支持する民衆とイスラム教徒でありながら自由を求める民衆の対立です。そして、「目には目を、歯には歯を」をDNAとして受け継いできたアラブの人々です。
本来、イスラム諸国の「自由」はアラーとの関わりにおいて受容されてきたと推察しますが、
アラブの春以来、彼らが求める「自由」は、現代の、欧米の「自由」のようです。自律の無い自由。
現代の「自由」が生み出す「破壊」の真只中にあるアラブ諸国です。
自前の「自由」では無い、借り物の、上っ面だけの「自由」に身を任せているうちは、本当の「創造」は生まれません。自立のできない現代の「自由」社会。他人任せの「自由」経済社会。他国の経済(景気)に右往左往、株価に為替に一喜一憂。これが本当にまともな大人の社会なんだろうか???
大地にしっかと両足を踏ん張って生きている感覚が無くなっていくようです。
おかしい。

2013年6月25日火曜日

亀成川


久しぶりの作成です。
本日、郵便ポストに入っていた情報が気になりました。「奇跡の原っぱ」消滅危機。
住いの近くに、国立公園級の生態系を残す地域がある、という情報です。
都市生活を送ることがあたかも文化的であると言う風潮に疑問を抱き始めている今日この頃。
新鮮な情報でした。
最近、住いの周辺を歩き始めて造成地が多くなっていることに、多少、驚きが有りました。
そんなに景気が良くなっているのか?そうではなかったようです。
「政府がほぼ全額出資するUR(都市再生機構)は造成開始の直前に会計検査院の調査を受け、大量の未利用地を抱える状況を改善するよう求められていた」(毎日新聞 全国版 2013年6月16日)が事情でした。
便利な(都市)生活より、不便さを残した方が人間らしく生活できるように感じています。
「亀成川を愛する会」検索してインターネット署名しました。
http://www.kamenari-love.com/

2013年1月10日木曜日

フランチェスコ 組織

  スイス紙幣の100フランのデザインはアルベルト・ジャコメッティの肖像と、彼の作品「歩く男」が描かれています。実存主義的といわれる彼の作品、彫刻はその像が極端に細くなっているものが多いです。まるで、削って削って無駄を削ぎ落として、行きついた先が彼の作品のかたちのようです。歩く、という単純な行為。その行為が主で、行為者は従。行為が無ければ人も存在しない。ジャコメッティのかたち。

フランチェスコは亡くなって2年後には列聖されています。聖人を決めるのは法王庁です。多くは1,2世紀、長い年月を掛けて決定される事項ですが、フランチェスコの列聖は例外かもしれません。否、彼の後半生を観ると法王が列聖したものわかります。しかし、恐らく、フランチェスコの思いとは違ったと思います。晩年、フランチェスコの思いとはズレが生じる兄弟会からも距離を置き、改悛した当初の修道生活に入ったフランチェスコ。己の思いを貫きます。
フランチェスコの下に集まり、増え続けた兄弟。彼の思いとは別のところに兄弟が道を創りはじめました。フランチェスコにもどうする事も出来ません。所有せず、自己主張しないフランチェスコの、キリストと共に在る方法は、最初に戻る事だったようです。フランチェスコにとって兄弟会も、大聖堂も、列聖も必要ない事です。
 
 

 大切なものは一つだけ。他には何も要らないという事はどれほど心安らかに、強くなれるでしょう。

2013年1月6日日曜日

フランチェスコ 学問

 身の周りで見る事のできるかたちは、その多くが人間の手による造形。
自然の生命の歩みより遥かに早い人間社会の発展は、進化した科学、学問のおかげでしょうか。
森羅万象の生き物の中で人間社会の歩みだけが異常な速さです。
物質的な豊かさを得ると同時に失ったものも多い筈です。
 

 フランチェスコは学問とは距離をおきました。否定はしていません。
彼の兄弟にはさまざな階層の人々が集まりました。知識という点ではフランチェスコを超える兄弟もいたようです。
しかし何度も書きますが、磔刑のキリストと聖書が生きている証のフランチェスコにとって、知識は取るに足らない事でした。場合によっては害になると。そのような学識者を兄弟に受け入れたのも、おそらく、彼らの心根を理解していたからでしょうか。フランチェスコの思いと実践が多くの兄弟、姉妹を集めました。
 

 ハーバード大学は、元は神学校として始まりました。清教徒の指導者を育成するために造られたUSAで最も古い、USAの頭脳のような大学です。官民一体となったUSAの大学。
USAは世界を牽引して行く力を備えている知識を有しているようですが、牽引して行く先には?
 「労働は神から与えられた天職」という教説とは裏腹の現在の経済社会。人々にとって労働は神と繫がる行為であるはずですが、天職である労働を簡単に取り上げる企業で成り立ってしまった経済社会。労働者ではない、労働しない人々の利益が優先される経済社会が出来上がっています。
 カルヴァンは、「天国に召される人間は予め決められている」という予定説も唱えました。
当時のカルヴァン派の信者にとってはパニックだったでしょう。果たして、己は天国に行けるか、否か。
 知る方法は?
労働し、金を得て財を成す。成功する事が救われる事になります。貧しいことは神の救いの無い姿になりました。
USAは、神の救いから漏れないように、ひたすら豊かで有り続けなくてはなりません。
 

 これからも富を求めて走り続けます。