2013年1月4日金曜日

フランチェスコ 労働

正月四日、仕事始めの様子が報道されました。
政権が代わってバラ色を予感させるような雰囲気です。民主党の「み」の字も聞かなくなりました。
自民党に代われば総て良くなりそうで、皆、浮足立っています。いつか来た道のように思えますが・・・。
 フランチェスコは働く事を兄弟たちに勧めます。自給自足の生活です。しかし、所有は禁じています。
彼の生きている証は磔刑のキリストと聖書でしたので、その為に、生きていく最低限のものがあれば充分でした。
自ら働き、返しは金以外のものを得ています。働く機会がなければ托鉢です。
所有すれば守らなくてはならない。守るために争いが起こる。争いを無くすために所有せず。シンプルです。
 総てが聖書のキリストと共に在る事で、日々の時間が流れています。
 
 フランチェスコは学問とは距離を置きます。世俗の学問は必要ないと考えました。
現代の経済はプロテスタント経済の側面があります。
カルヴァンは「労働は神から与えられた天職」だと説きました。
プロテスタントは都市型のキリスト教として商人、職人、新興貴族に支持層を得ていきます。
教会を否定し、聖書を唯一の拠り所としたプロテスタント信仰は、
文字の読めない農民より教育の機会を持った都市市民に拡がっていきました。
フランチェスコもプロテスタントも聖書を生きている証、拠り所とした点では同じですが、
フランチェスコは、聖書のキリストをそのまま生きようとしました。
プロテスタントは聖書をいろいろと解釈し、世俗の学問の対象にしてしまいました。
結果、様々な教派を生み出し、学問は深化していきます。
「労働」で得た対価(金)も神から認められたもののように考えられているようです。
 

 カルヴァンにお墨付きを貰った「労働」は新世界で大輪を咲かせていきます。
 

2013年1月2日水曜日

フランチェスコ 自由


自由が破壊と創造を生み出す社会には伝統は育まれません。
自由は新しいもの、珍奇なものを生み出す能力においては群を抜いています。
廃れるのも早い。経済において際立ちます。しかし、そのような自由の国、USAにも良き(?)時代が有りました。
現代のUSAの発端は新教の自由を求めた清教徒による国造りです。
母国での自分達の信仰が守れないという事で新世界を求めました。
カルヴァン的な信仰を基礎にする清教徒たちの信仰は、共同体の自律的な自由による信仰生活の中で行われます。
「丘の上の町」をつくるという理想に燃えた移民当初の信仰は、ジョン・ウィスロップなどの共同体の柱になる人物が現れ移民をまとめています。統制がとれています。17世紀当初のUSA建国前の状況は明らかに現代のUSAとは違います。400年ほど前の状況と変わってきて当たり前ですが、当時も現代も自由を満喫しているのは同じ人間です。
共同体の清教徒が自律的に享受してきた自由と、ただ単に、自由を求める現代では雲泥の差です。
フランチェスコは、下世話になりますが、ストイックに本物の自由を求めたのだと思います。

2013年1月1日火曜日

聖フランチェスコ

フランチェスコの清貧は現代社会とは真逆になります。
そのような精神性を生み、育んできたフランチェスコとフランチェスコ会。
現代のフランチェスコ会がどれだけフランチェスコの思いを引き継いでいるか判りませんが、
現代のグローバル化された経済を牽引するUSAの思いとは真逆のフランチェスコの思い。
西欧の12世紀、商人が活躍し始め貨幣経済が規模を拡大していきます。
フランチェスコ自身、裕福な商家に生まれました。
裕福故に送れた放蕩生活の前半生から、修道者としての信仰生活に入った後半生は、真逆の人生です。
修道者としてのフランチェスコは、あらゆるものの所有を否定しました。
お金は糞と同じだと忌み嫌いました。
清貧で居る事が救われる手段であり、所有欲はあらゆる争いの種であるという思いは、
現代の世相を如実に現しています。
現代の自由は、破壊と創造を生み出し、破壊と創造に便乗した自由の国がますます富みを蓄え、地球規模で貧富の差が生み出されています。自由が、あたかも普遍的な真理のように扱われている現代と、真の自由を求めたフランチェスコの思いをもう一度見直す事も必要かもしれません。
フランチェスコが自然、森羅万象を神の創造した人間の兄弟と観たのは、神の意思を感じ取れたからでしょう。
そのような自然を、現代の経済社会は傍若無人に荒らしまわっています。
 どこへ行きますか?

2012年12月28日金曜日

贈り物


2012年10月8日、アッシジ。
今年の心温まる、いつまでも心に残っている訪問になりました。贈り物です。
クリスマスの習慣はフランチェスコの行いに始まる聖なる行事。キリストの誕生日ですから。
何年ぶりでしょうか、アッシジ訪問。久しぶりのアッシジ。聖フランチェスコとの再会でした。
最初にアッシジを訪れた時、ガイドの説明が私の記憶を呼び起こした事を覚えています。
「ブラザーサン シスタームーン」という映画の記憶。
高校3年時に観た映画です。映画館の暗がりの中、感動で涙したのを覚えています。
1972年の映画ですが未だに販売されています。
フランチェスコの生涯を観た記憶がありましたが、断片的な記憶でした。
映画は、フランチェスコが兄弟と共に法王インノケンティウス3世に謁見する場面で終わっているようです。
聖書のキリストを雛形として、後半生をキリストに添いたいと願い実行しました。
生前中から多くの兄弟、姉妹を引き寄せています。そして、亡くなって2年後には列聖されます。
磔刑のキリストに目を開かされ、キリストへのひたすらな服従を行います。
信頼しきるキリストへの服従は、羨ましい限りです。一切、疑念が有りません。
後半生のフランチェスコの生きざまはシンプルでした。
聖書と磔刑のキリストへの思いだけが、フランチェスコの生きている証のようです。
そして、その思いをかたちにする事。他には何も必要有りません。
 服従、清貧、貞潔。
清貧は多くの修道会派で当たり前の事ですが、
フランチェスコの清貧は彼の思いを叶える、叶えさせてもらう為に、終生、実践されています。
所有せず、托鉢修道僧として清貧を貫きキリストに添い遂げたフランチェスコ。
イタリアから帰国後、未だにいろいろな思いを整理できずにフランチェスコに留まっています。

2012年9月17日月曜日

サンクトペテルブルク 国際空港

久しぶりの投稿です。
ただ今、北欧を廻っています。そして、レニングラード以来、久しぶりに利用した国際空港。
しかし、最悪でした。
16日、サンクトペテルブルクからスウェーデンはイエテボリに移動した災難の一日になりました。原因はサンクトペテルブルクの国際空港。空港の規模の割りに利用客が多く、空港スタッフもそんな利用者を捌き切れない最悪の空港。航空会社の有るカウンターのスペースが狭くて、そこへの入場を制限しています。フライト出発の2時間前でないと、カウンターが利用出来ません。直ぐ側は出国審査場。チェックインを終えた利用者の長蛇の列が出来上がります。今回は出国審査を終えるのに約70分要しました。そして、直ぐに手荷物検査場。ここもスペースが狭いので利用者でごった返している上に、係員の仕事ぶりは旧ソ連時代のまま。飛行機に搭乗する為だけに2時間必要な空港です。
利用者の利便性は全く考慮されていない最悪の空港。

2012年7月13日金曜日

ギリシャの神々

機内映画で面白いのがありました。今年のハリウッド映画。タイトルはWrath of the titans。 ギリシャ神話に登場する神々、オリンポスの神々と巨人族の神々の争いと言うシンブルな内容ながら、想像力の膨らむギリシャ神話。キリスト以前に(おそらく)ギリシャ人が創造した神々の話。大好きな題材の一つです。 鑑賞しながら想像した事が、今回のギリシャの金融危機。現代のギリシャ人は、神話を創造したギリシャ人とは別物では。聖パウロがキリスト教布教後のギリシャ人が現代のギリシャ人。こじんまりと纏まった一神教に、ギリシャの神々の力強さ、活力はありません。 ブロテスタント経済が主流の世界。他力本願の正教、カトリックの国々が経済的に立ち直るには厳しい気がします。現代の声高に叫ばれる自由や人権より長い、2000年以上の歴史に育まれて来たキリスト教徒の彼等が自らの力を頼りに危機を乗り越えるのは?

2012年6月30日土曜日

ジョージ クルーニー


今回、ルフトハンザで往復したクロアチア スロベニアの添乗。
往路の機内で観た映画の紹介、感想です。
タイトルは「グッナイト & グッラック」
俳優でもあるジョージ クルーニー監督の2005年のハリウッド映画です。
1950年末、USAで赤狩り(共産党員)がおこなわれました。
戦後、東西(社会主義と反社会主義、自由主義、資本主義)に二分された世界で、共産主義に対して異常なまでに神経質になったUSAの一面を現している映画です。
以前、観た事があったのですが、改めて観直すと面白い映画です。
言葉で成り立っている国。言葉に頼っている国。
出演者の操る言葉使いが面白いです(日本語訳バージョンなので訳し方もあるでしょうが)。
赤狩りを行っていた上院議員のマッカーシーに対して
異を唱えたテレビ局CBSのジャーナリスト マローウと同僚の言葉の遣り取りが面白い。マッカーシーの赤狩りの対象者が、共産主義者以外の意を違える人にまで拡大されそうになった時のUSAの様子が垣間見えます。USAらしい映画。同監督の作品には昨年のUSA大統領選挙を扱った「スーパー・チューズデー ~正義を売った日~ 」があります。