2012年10月8日、アッシジ。
今年の心温まる、いつまでも心に残っている訪問になりました。贈り物です。
クリスマスの習慣はフランチェスコの行いに始まる聖なる行事。キリストの誕生日ですから。
何年ぶりでしょうか、アッシジ訪問。久しぶりのアッシジ。聖フランチェスコとの再会でした。
最初にアッシジを訪れた時、ガイドの説明が私の記憶を呼び起こした事を覚えています。
「ブラザーサン シスタームーン」という映画の記憶。
高校3年時に観た映画です。映画館の暗がりの中、感動で涙したのを覚えています。
1972年の映画ですが未だに販売されています。
フランチェスコの生涯を観た記憶がありましたが、断片的な記憶でした。
映画は、フランチェスコが兄弟と共に法王インノケンティウス3世に謁見する場面で終わっているようです。
聖書のキリストを雛形として、後半生をキリストに添いたいと願い実行しました。
生前中から多くの兄弟、姉妹を引き寄せています。そして、亡くなって2年後には列聖されます。
磔刑のキリストに目を開かされ、キリストへのひたすらな服従を行います。
信頼しきるキリストへの服従は、羨ましい限りです。一切、疑念が有りません。
後半生のフランチェスコの生きざまはシンプルでした。
聖書と磔刑のキリストへの思いだけが、フランチェスコの生きている証のようです。
そして、その思いをかたちにする事。他には何も必要有りません。
服従、清貧、貞潔。
清貧は多くの修道会派で当たり前の事ですが、
フランチェスコの清貧は彼の思いを叶える、叶えさせてもらう為に、終生、実践されています。
所有せず、托鉢修道僧として清貧を貫きキリストに添い遂げたフランチェスコ。
イタリアから帰国後、未だにいろいろな思いを整理できずにフランチェスコに留まっています。
0 件のコメント:
コメントを投稿