自由が破壊と創造を生み出す社会には伝統は育まれません。
自由は新しいもの、珍奇なものを生み出す能力においては群を抜いています。
廃れるのも早い。経済において際立ちます。しかし、そのような自由の国、USAにも良き(?)時代が有りました。
現代のUSAの発端は新教の自由を求めた清教徒による国造りです。
母国での自分達の信仰が守れないという事で新世界を求めました。
カルヴァン的な信仰を基礎にする清教徒たちの信仰は、共同体の自律的な自由による信仰生活の中で行われます。
「丘の上の町」をつくるという理想に燃えた移民当初の信仰は、ジョン・ウィスロップなどの共同体の柱になる人物が現れ移民をまとめています。統制がとれています。17世紀当初のUSA建国前の状況は明らかに現代のUSAとは違います。400年ほど前の状況と変わってきて当たり前ですが、当時も現代も自由を満喫しているのは同じ人間です。
共同体の清教徒が自律的に享受してきた自由と、ただ単に、自由を求める現代では雲泥の差です。
フランチェスコは、下世話になりますが、ストイックに本物の自由を求めたのだと思います。
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