2001年を境に激動の世界(私にとって)に入り込んでしまった今日この頃。1980年代、90年代,そして2000年代の私の旅のあとさきを伝えていきます。 http://tabinoatosaki333.at.webry.info/もご覧下さい。
2012年2月10日金曜日
旅支度69
一方、清教徒の宗教的な移民とは別に、コロンブスの新大陸発見(西インド諸島)以降、新世界はポルトガルやスペイン、オランダそしてフランス等の探検家にとっては垂涎の地になっていました。胡椒、毛皮、金や銀などを求める探検が一攫千金を生めば、それは次第に国を動かす事業に変わっていきます。そして、各国の利害のぶつかり合いは、国家間の政策が旧大陸と新大陸で連動した動きとして捉えられるていきます。
英国の探検家でエリザベス一世の寵臣として知られた、ウォルター・ローリーは英国で最初の新大陸植民地を築きました。
一五八四年、二隻の船で新大陸の東海岸を探検しています。カナリア諸島とプエルトリコに立ち寄り、フロリダ海峡を北上してカロライナの浅瀬を通り抜ける水路を発見、レロアノーク島に辿りついています。そこで、現場周辺を六週間かけて探検した結果、植民地として最適な場所であるという結論に達します。帰国後、議会に諮られた植民地計画は、翌年には科学的な装備を備えた大がかりな探検隊を編成させました。そしてその後も、新大陸での利権を得るために遠征隊が出されましたが、間近に迫ったスペインとの戦いで植民地事業に手が回らなくなったこと、遠征隊は清教徒のような集団ではなく、現地では原住民との衝突を起こし、結局、ロアノーク植民地は失敗に終わりました。
しかし、その後も新世界への進出は止むことなく続きます。なぜなら、新大陸の利害はそのまま旧大陸の利害に関係したからです。敵対するカトリックのスペインをアルマダ海戦で破った事は、プロテスタントの勝利を意味するものでもありました。当時のイギリスの船乗りの多くは、スペインの覇権に抵抗する強い宗教的な動機を持つ厳格なカルヴァン主義者が多かったのです。カルヴァンの「二重予定説」は、神に救われる側としてのイギリス、地獄に落ちる側のスペインと言う図式で、イギリス人を奮い立たせることになりました。続く
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