2012年2月21日火曜日

USA 信教の自由

20日の産経新聞「環境 異見」にワシントンポストの論評が有りました。 訪米中の中国国家副主席、習近習との会談においてオバマ政権からの注文が極端に少なかった、との論評です。 問題は人権問題。信教の自由を持ち出し、チベットでは人びとが中国政府から迫害され人権が無い。何故、会談で問題にしなかったのか?と。 400年ほど前に旧大陸から清教徒が信教の自由を求め新大陸に渡っています。その後も、信教の自由を求めた多くの移民が新大陸を目指しました。 信教の自由はUSAにとって国是のような概念です。論評にも出るほどですから、未だに生き続けているようです。 しかし、論評の読後感には違和感が残りました。 旧大陸で迫害されたキリスト教の信仰者が信教の自由を求めた場所が新大陸。 現在でもUSAはそのような国です。多くの人びとを受け入れています。チベットで信教の自由が無い人びとを受け入れる、と言うのであれば 論評も腑に落ちますが、チベットの人権問題と信教の自由の関連付けに無理があります。本来の信教の自由の概念が拡大解釈されて、 あらゆる国に適用されては堪りません。信仰の対象が凡ゆるもの(世俗の言葉、概念)に拡がり、聖俗の垣根がますます低くなったUSAの信教の自由。 USAの自負、合衆国人の思い込みが、仕舞いにはUSAを信仰しろ、と言う具合になりそうで気分の悪い論評でした。

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