2011年11月26日土曜日

旅支度58

一五一七年、司祭であったマルティン・ルターが彼のことばを吐いたのです。サン・ピエトロ大聖堂の改修のために販売された免罪符が罪の放免になるのか? ルターは彼の思いを「九五カ条の論題」にぶつけました。すでに十字軍遠征の頃から乱発されていた免罪符の問題提起は、ルターによって決定的になります。ルター以前に英国のジョン・ウィクリフやボヘミヤのヤン・フスがバチカンの姿勢を批判していましたが、ルターの運動はキリスト教社会を二分する決定的な事となりました。  ルターの運動を、当初バチカンは無視し、それまでの異端の動きとは違う事に気づきませんでした。と言うより情勢を見誤りました。バチカンが総てを管理できるほど単純な社会では無くなっていました。 「ことばは神であり、ことばが神と共にあった」時代は、キリスト教という宗教で社会を一つにまとめられましたが、ことばから神が離れ始めると同時に問題は噴出しました。唯一神がたくさんの神を生み出します。  ルターと前後してスイスではジャン・カルヴァンがことばを吐きます。彼も聖職者でした。キリスト教徒として聖書を唯一とし、彼は自身の聖書観を主張していきます。続く

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