2011年11月19日土曜日

旅支度56

しかし一方で、聖職者と国王、貴族の反目は続き、十四世紀には英仏間で百年戦争が勃発、ペストの流行によって欧州の人口は減少します。世俗化した教会は、世俗の出来事と深く関わりを持つようになっており、世俗の負の影響も避けられませんでした。ゴシック様式の教会が表すように教会と世俗社会が作り上げた社会は西欧中に拡がり、その繁栄振りを見せつけましたが、次第に歪が生じていたのです。教会は、いつの間にか「戦う人」「働く人」を「祈る人」(教会)の為にあると考え、行動を続けた結果、次第に社会を支えていた柱を腐らせていきます。 「カノッサの屈辱」といわれる事件以降、イタリアの諸勢力を巻き込んで皇帝側、法王側に分かれた聖俗入り乱れての権力闘争が続きます。フランスでは国王が国内に法王庁を作り独自の法王を起てます。そのような混沌とした時代が続き、バチカンは社会を管理できない状態になっていました。そして時代は、「祈る人」の中から社会の柱であるバチカン(法王)の再生を望み、行動を起こす聖職者を現します。それは、バチカンにとって世俗との争いに加えて教会内部での争いに対処しなくてはならない、新しい時代に入っていくことを意味していました。プロテスタントの登場です。続く

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