2001年を境に激動の世界(私にとって)に入り込んでしまった今日この頃。1980年代、90年代,そして2000年代の私の旅のあとさきを伝えていきます。 http://tabinoatosaki333.at.webry.info/もご覧下さい。
2011年10月29日土曜日
旅支度50
西欧中世の中心的な役割を果たしたカロリング朝時代は、キリスト教と政治が両輪となって秩序ある安定した社会を作り上げていました。しかし、その社会は聖職者(祈る人)と貴族(戦う人)の社会であり、未だ農民(働く人)はキリスト教とは縁遠い存在でした。理想の「神の国」を作るためにカール大帝は王国内に学校や教会、修道院を造り、管理者としての聖職者を養成します。王国内の聖職者の叙任は貴族によって行われましたが、貴族の意向が反映された制度は後世の聖職者と貴族の間に禍を残すことになります。
中世、知識吸収の機会を得られたのは聖職者ぐらいで、多くの人が読み書きもできない状況でした。しかし、すべての聖職者が読み書きできたわけではなく司教の手足となって活動した助祭には読み書きができず、そのような彼らが教会の聖務を務めました。それまでの「祈る人」の為のキリスト教とは違う世俗的な聖職者によるキリスト教が布教されるようになります。利に聡い聖職者の活動は次第に世俗の目の敵として捉えられるようになります。身分の違いを利用し教会法に触れるような事を遣る聖職者に市民たちが異を唱えるようになりました。
市壁内の教会が城砦を備えた建物になったのは、外敵への備えだけなく、内なる敵に対しての防御でもありました。
世俗化された教会は、次第に内部の浄化も図りながら本来のあるべき姿のキリスト教を求めることになります。
宗教が戦争を引き起こすと考えがちな日本人にとって城砦のような構えの教会には違和感があります。続く
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