2001年を境に激動の世界(私にとって)に入り込んでしまった今日この頃。1980年代、90年代,そして2000年代の私の旅のあとさきを伝えていきます。 http://tabinoatosaki333.at.webry.info/もご覧下さい。
2011年10月6日木曜日
旅支度44
フランク王国ではキリスト教の理念が大きな柱として政教一致の統治が行われました。国を統治する上で、頼るべきしっかりした柱としてキリスト教が在りました。ゲルマン民族にとってローマ文化=キリスト教は文明であり国造りには最適だったのです。一概に現代と比較は出来ませんが、多くの価値観を持ち、太く、しっかりした精神的支柱の無くなったような現代は、実は負担の大きな社会かもしれません。柱の無くなった(必要としなくなった)建物は一人ひとりがレンガとなって建物を支えなければなりません。
カール大帝の死後、広大な王国の領土は東フランク、中フランク、西フランクの三王国に分割されました。現在のドイツ、イタリアそしてフランスにあたります。一〇世紀、カロリング朝の家系が途絶えると、三国はそれぞれの道を歩み始めます。
フランク族が最初に住みついた地域はライン河とムース河が交差する辺りでした。現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルグの辺りです。現代、世界でもう一つの柱になろうと目論んでいるEU(欧州連合)。その原加盟国がオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、そしてカール大帝フランク王国時代に領土となった、ドイツ、イタリア、フランスに相当します。まるで歴史を繰り返すような動きは面白いです。二〇〇九年現在、加盟国は二七カ国となり西欧から東欧、バチカン半島にまで拡大されていますが、これまでのところ加盟国のすべてがキリスト教信仰が行われてきた国々です。続く
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