2011年10月1日土曜日

旅支度42

  八〇〇年のクリスマス、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂で教皇レオ三世は小ピピンの息子、カール大帝を「西ローマ皇帝」として戴冠しました。当初、カール大帝は西ローマ皇帝よりもフランク族の王としての立場を重視していましたが、次第に西ローマ皇帝として、また敬虔なキリスト教徒として活動します。古代ローマ帝国に匹敵する領土を有するフランク王国が、再び安定したキリスト教国を再興しました。カール大帝のキリスト教へ対する献身的な活動は、領土内に聖職者を養成する学校を興し、修道院、教会を増やしていきました。文化芸術にも力が注がれカロリングルネッサンスと言われる文化が華開きます。 ゲルマン民族の侵入によって荒廃したローマ帝国=キリスト社会がゲルマン民族の手によって再興されたのです。東ローマ皇帝に匹敵する権力を持ち、キリスト教の熱心な信奉者で、進んでキリスト教社会を建国しようとしていました。教皇には願ってもない人物でした。聖と俗の蜜月時代。政教一致の時代です。  ドイツ・アーヘンには、そのカール大帝が埋葬されている聖堂があります。八世紀末、当時としてはアルプス以北では最大のドーム型の宮廷教会が建てられました。これはゲルマン、ローマ・キリスト教の影響とビザンチン様式が取り入れられたカロリング芸術の傑作と言われます。西欧においてロマネスク様式の建築が現れる二世紀ほど前の建築物です。暗黒時代の中世に、フランク・カロリング朝は西欧文化の礎を築いたとも言えます。続く

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