2011年9月11日日曜日

旅支度31


旧約聖書の創世記三章に「楽園追放」が描かれています。神によって創られたアダムと連れ添いとしてアダムの脇腹から創られたイブは、善悪の木の実を口にして神との約束を破ります。その為に楽園(エデンの園)を追われます。神との約束さえ守れば、神と共に住まい、永遠の命を持って楽園で何不自由なく過ごせたようですが約束を守れませんでした。そして追放の際に神は二人に罰を与えます。イブには産の苦しみが与えられ、アダムには一生いばらとあざみが生えた荒地を耕し、野の草を食べる一生が与えられました。そこから人類(旧約聖書を拠り所とする)の苦難の物語がはじまります。
人類の祖であるアダムとイブの子供達は子々孫々、神との約束を守れなかったという原罪を背負っていくことになります。女には(お産の)苦しみ、男には耕作という労働が罪として背負わされました。     
 中世の「労働」と言えば主なものは農業です。文字の読めない農民にとって聖職者に聞かされる「楽園追放」の話は現実そのものだったと思います。生きる為の糧となる作物を育てる労働は必要不可欠にも関わらず、教会では神が与えた罰となってたのですから。恐らく、日々どのように生きていくかと言う状況の農民にとって、その労働環境はまさに神から与えられた罰だと考えても不思議ではなかったと思います。続く

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