2011年9月8日木曜日

旅支度29


 労働  
 

大正生まれの父がよく口にしていました。「働かざる者食うべからず」      
キリスト教徒でもない父親は、そう言いながら家族の為に働きました。恐らく、昔は誰でも働くことを厭わなかったのだと思います。戦後の復興期に何とか生きて行くために働き、その後も、より良い生活を求めて働き続けた両親にとって当たり前の事が当たり前に出来ていました。額に汗して労働することが当たり前の時代に生まれ育った両親は、働きたくても働けない時代と比べれば幸せだったと思います。
父のよく口にしていた「働かざる者食うべからず」は、約2千年前のキリスト教徒パウロが「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」(テサロニケ人への第二の手紙3:10-口語訳聖書一九五四年)と述べています。洋の東西を問わず「労働」は「生きていく」為に大事なことだったのです。キリスト教徒にとっては信仰の上でも。
父親は「働く」ということは、はたはたを楽させることだ、とも言いました。人間の基本的な生活行為である「労働」、「働く」場所はますます奪われていこうとしています。 
時代と共に経済を支える職業の形態が変化するのは致し方ない事かもしれませんが、常に変化を求め経済に活力を注ぎ込みながら遣ってきた合衆国ではどのような職業観があるのか? 
新大陸に渡った初期の移住者は清教徒です。旧教の束縛から逃れて新世界で新教を基本にした街を作ろうという希望に燃えていた人々です。信教の自由を求めて新大陸(合衆国)に渡った人々の労働観を辿ってみたいと思います。脇道に逸れることも有るかと思いますが、どうぞお付き合いを下さい。続く

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