二〇世紀に入って、金融理論、金融経済、金融工学などと、金を融通するための考え方、方法などが学問されるようになりました。「実体経済」が生み出してきた商品とは違う商品が八〇年代から幅を利かせています。それまで、こつこつと築き挙げた実体経済を、一瞬のうちに呑み込む数字が闊歩しています。実体生活の中にいる労働者は災難です。九〇年代に入って合衆国の専売特許であった「リストラ」が日本でも始まります。企業利益が優先され労働者が簡単に首を切られるようになりました。
そのような新しい経済を考え出した合衆国にも「労働」は神と関わる神聖な行いであるという考え方がありました。神を称え、神から認められる手段として「労働」は尊ばれましたが、次第にその特質を変えてしまったようです。今に始まった事では有りませんが、簡単にリストラして神との関係を断っている合衆国の企業。企業の業績が悪くなれば当たり前のように首切りを始めるようになった日本でも「労働」は、働くということは理屈抜きで尊ばれていた行為だったと思います。続く
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