八十年代後半になると欧州の添乗が多くなり、各国の主要都市では多くの日本人観光客を目にしました。定番旅行先のロンドン・パリ・ローマのブランド店には日本人旅行者が多く出入りし、パリのオペラ通りは日本人通りとも呼ばれ、たくさんの観光ツアー旅行者を案内しました。店舗側も大歓迎で日本人店員も愛想良く対応してくれました。恐らく、入店する旅行者は札束に見えていたと思います。
しかし、バブル経済が弾け日本人旅行者が激減すると、日本人を相手にしていた免税店はオペラ通りから徐々に数を減らしていきました。入れ替わるように九十年代には合衆国からの旅行者が姿を現します。どの都市を旅行しても西欧人とは違う雰囲気の、合衆国本土の人間とも違う雰囲気の合衆国からの旅行者がいました。上手く表現できませんが、無色の透明で小奇麗な身だしなみの合衆国人です。受け入れ側もちゃっかりしていました。サービスの比重は、金を落とさなくなった日本人から合衆国人へ変わっていきます。ホテルが合衆国の系列に変わると室内の照明はそれまでの薄暗いものから蛍光色の明るいものに変わり、日本語放送のテレビチャンネルも数を減らしていきました。ショーウィンドウの飾り付けも合衆国人好みへ変わり店舗全般のサービスは日本人旅行者以外に比重が移っていきました。その後、合衆国からの旅行者も湾岸戦争、9・11のテロを通して落ち着いていきました。そして現在は、中国、ロシアそしてアラブ系の旅行者が欧州の諸都市を闊歩しています。テレビでも中国語(北京語)、ロシア語そしてアラビア語のチャンネルが増えています。
九〇年代に入って日本の景気の悪さは徐々に旅行にも現われました。旅行は従来の値付けでは売れなくなり、安い値付けの旅行が主流となっていきます。他の商品と同じように、安い商品の大量生産、大量販売で利益を出すことが主流になっていきます。旅行催行日も、それまでの祝祭日では集客が少なくなり(旅行費用が高いですから)、安い値段設定の時期へと集客が増えていきます。続く
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