2012年1月24日火曜日

旅支度66

  イギリスではヘンリー八世が一六世紀初頭、国王至上権を発して英国国教会を創設、カトリック教会から離脱します。国教会創設の発端は、カトリックでは認められない離婚を強行して破門されたことでした。  英国国教会はプロテスタントに分類されますが、典礼にはカトリック教会との共通点を多く残しています。ヘンリー八世は、当初、ルターの宗教改革を批判した熱心なカトリック教徒でした。教皇から「信仰の擁護者」の称号を授かり王国の教会の首長の役割も負っていましたが、カトリックからの分離が大陸からのプロテスタントを流入させることになりました。  ヘンリー八世の英国国教会はカトリック的な要素を残します。変革を嫌う宗教信条はカトリック的であり、教皇に代わり国王自ら宗教も治めようという試みでした。反バチカンという点ではプロテスタントと同じです。その後、ヘンリー八世の宗教政策は次代の国王へ引き継がれていきます。  エドワード八世、エリザベス一世と、国教会の強化に努めます。国教会の強化はとりもなおさず王権の強化でもありました。「礼拝統一法」では、国教会の典礼、祈祷の内容を統一したり、一般信徒には教会への礼拝出席を義務づけました。あたかも政教一致の政治が行われました。しかし、エリザベス一世治下、国教会の中にも異を唱えるグループが現れます。国教会に対して宗教改革を唱える会衆派(プロテスタント)の創始者ロバート・ブラウンです。教会は自覚的信仰者の集合体であり、教会の改革は信仰者自ら行うものと説きます。国の関与を否定したブラウンは国教会を離れて改革運動を始めていました。分離派と呼ばれた一部の信徒は国の弾圧を受けると、信教の自由を求めて一六二〇年、新大陸に渡ります。合衆国の礎を築くことになる清教徒、ピルグリム・ファーザーズです。続く

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