2011年11月2日水曜日

旅支度51

 中世の西欧では社会が身分で考えられました。「祈る人」「戦う人」「働く人」によって社会が支えられ、教会もそれらの身分で成り立つ社会を理想としました。それぞれの身分でそれぞれの役割を果たす社会。しかし、教会の理想社会は長続きしませんでした。本来「戦う人」が持つ剣を「祈る人」が手にした時、争いは避けられませんでした。  イタリア・カノッサで事件が起こります。一〇七六年、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ四世が教皇グレゴリウス七世によって破門されました。理由は皇帝による「聖職者叙任」です。皇帝、国王が聖職者を叙任することはフランク王国時代からの慣習でしたが、グレゴリウスはその権限に異を唱えます。  八〇〇年、教皇レオ三世はカール大帝を西ローマ皇帝として戴冠していました。教皇による戴冠式は、その後、世俗社会における権力者の世俗統治のお墨付きを教皇(神の代理)から得た事を意味します。その時の経緯が、教皇を皇帝の上だとする教皇至上主義の支えになっています。しかし、次第に皇帝側に権力が移り、帝国諸侯の手中にあった教会では聖職売買や司祭の妻帯等、教会法に関わる問題を抱え、改革の必要に迫られていました。教皇は教会を本来の姿に戻そうと試みたのです。しかし、カノッサの事件以降、教皇と皇帝の確執が長く続くことになります。続く 

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