十世紀初頭、ベネディクト会の精神を引継ぐクリュニー会がアキテーヌ公ギョーム一世と言う人物によって創立されました。世俗の献身的なキリスト教徒です。創設されて直ぐに教皇の認可を受けています。クリュニー会は聖俗両方の支持を得て西欧中に修道院、修道士を増やしていきました。傘下の修道院の数は最盛期には一五〇〇ほどに膨れ上がり聖俗社会で大きな影響を及ぼします。しかし肥大化した修道会は、次第に本来の「ベネディクト会則」に沿った修道生活とはかけ離れていきます。祈りと瞑想が重視され労働が疎かになっていきます。世俗からの寄進により莫大な富が集中するようになると、祈る場所は豪華になり、荘厳な典礼が行われるようになりました。世俗に対して目に見えるかたちでキリスト教の精神性を伝える必要があったのかもしれません。祈りと瞑想の質実・簡素な精神的修道を重視していたはずですが・・・。ベネディクト会則の修道生活を求める修道士の中には別の道を求める者も出てきます。ベネディクトゥスの精神を外れたクリュニー会は一二世紀末頃から次第に衰退していくことになります。続く
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