2011年7月7日木曜日

旅支度7

 アメリカ合衆国に関わる話をもう少し。
八十五年頃からアメリカ合衆国の添乗が始まりました。七十年代に意識した最初の外国であり、大戦後の日本に多大な影響を与えたアメリカ合衆国。戦後の復興が奇跡と言われ、その後のアジアの国にも影響を与えた日本の復興は、その手本がアメリカ合衆国でした。今でも後を追い続けていますが・・・。
そのような憧れの国への添乗は、最初はワクワクしながら総てを肯定的にみていたように思います。戦後、日本が手本とした国ですから。
 初めて合衆国の空港に着陸し降機する段になって、搭乗橋を使うわけでも無くシャトルバスでターミナルビルへ移動という事も無く、沖止めになった機体の扉口に搭乗橋を兼ねた鉄の固まりようのような大型バスが固定され乗客を収容しました。そして、そのままターミナルビルへだだっ広い空港敷地内を走り続けます。誇張ではなくだだっ広かったのです。その時、感じた素直な印象が「よくも親父の世代はこんな国と戦争をしたな」という事でした。ショックでした。「負けて当たり前」と。
 二〇世紀、そのような合衆国に完膚なきまでに叩きのめされたのが日本ですが、その後、合衆国が関わったアジアの国々との戦争で勝利していません。もしかすると太平洋戦争が合衆国の最後の勝利だったのかもしれません。続く

0 件のコメント: