2011年7月5日火曜日

旅支度6

 「自由」「民主主義」と言えばアメリカ合衆国の十八番でしょうか。日中国交締結の七十二年は未だにベトナム戦争に関わっていたアメリカ合衆国は、一方で中国との国交を模索していました。アメリカ合衆国のベトナム戦争はケネディ、ジョンソンそしてニクソンと三人の大統領が関わりました。第二次大戦後の東西冷戦によるイデオロギーの衝突が各地で紛争を引き起こしました。ケネディはベトナム戦争の最中に、ソ連に先を越された宇宙開発で巻き返しを図るために「アポロ計画」を推し進めています。ケネディ暗殺後のベトナム戦争はジョンソンによって大掛かりな南ベトナムへの支援が行われています。そして、ニクソンの時、一九七三年にアメリカのベトナム戦争終戦が宣言されています。しかし、南北ベトナムの戦争は終わっていませんでした。戦争は当事者で解決してくださいと、途中で梯子を外された南ベトナムにすればたまったものではありません。その後、共産圏の支持した北ベトナムの侵攻で南ベトナムの敗戦が決まります。そして現在のベトナムです。当時、新聞にはシナ海を漂流する難民満載のボートの写真記事がたくさん有りました。
 アメリカ合衆国は、大戦後、世界で起きた事件には必ずと言って良いほど顔を出しています。そして、結果は上手く行っていません。九十年代、アメリカ合衆国自体が経済のグローバリズムを強力に推し進め、世界に影響を与え続けている現状では、「自由」や「民主主義」などのイデオロギーは影を潜め、経済の隠れ蓑に使われている感が有ります。特に反友好的な国に対しては、「自由」や「民主主義」などを錦の御旗に、どこでも顔を突っ込んで結果的に好結果を引き出せていません。アメリカ合衆国とは異質の国に対しては、それぞれの国にあった「自由」「民主主義」を認める時期だと思います。続く

0 件のコメント: