2011年4月30日土曜日

藤沢周平


 一年ぶりぐらいに藤沢周平を読み直しています。作品との最初の縁は7,8年(?)前のNHKで放映された「蝉しぐれ」。脚本が黒土三男であることにも興味引かれて毎週、観ていました。それ以来、藤沢周平の文庫本を読んでいました。読み直しても藤沢作品の印象は変わりません。時代劇物が多いと思いますが、随筆ものも良いです。文章から伝わる人肌のような温かさ、文章と文章の間に別の文章を感じます。おもしろい文章がありましたので紹介します。

「こんなふうに書くと、いかにも自然主義者の言いぐさのようだが、私はべつに主義でものを言っているわけではない。ただし少し大げさに言うと、科学の進歩ということについて、気持ちの底にしつこい不信感があって、もろもろの文明の利器も手放しでは礼賛出来ない気分があるのである。
その不信感は、人間が核兵器を持ったころにはじまったように思う。核の開発は科学の偉大な勝利だろうが、核兵器を頭の上にぶら下げて進退きわまっている人間はマンガでしかない。私は科学が人間にもたらした数々の恩恵を否定するつもりは毛頭ないけれども、核だの、最近の遺伝子工学だとのいうことになると、科学が人間を亡ぼす可能性に思いをいたさないわけにはいかない。科学は元来、それ自体でひとり歩きするものである。そして時に神の領域を犯す。もっとも、クーラーと神の関係はもっと無邪気で、私の神は空からゴロゴロとやって来て夕立を降らせ、あっさりと天然のクーラーの優位を示すようである。」(藤沢周平 小説の周辺・暑い夜ー『小説春秋』昭和五十六年九月号から)

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