出先で今回の震災のニュースを視聴して、先週土曜日に帰国しました。
テレビ画面に映し出された津波の映像は9.11の世界貿易センタービルの崩壊より衝撃でした。
ニューヨークの映像はまるで映画を観ている感覚でしたが、東北地方を襲った津波は現実のリアルな出来事として脳裏に焼きついています。津波が収まった後の風景は、写真で目にした事のある大戦中の空爆を受けて焼け野原となった東京などの都市と全く一緒でした。言葉にならないほど衝撃的です。そして、その場所に何十万もの人が残されています。ショックです。そして、原子力発電所の損傷。もしかすると、今回の出来事は我々が試されているのかもしれません。大企業のトップが口にすべきでない「想定外」という言葉。使い方によっては言い逃れにしか聞こえませんし不遜で高慢な表現です。いつごろから我々はこのようになったのでしょうか?
たくさんの海外からの援助隊が遣って来ています。震災の現場は、キリスト(プロテスタント)教徒にとっても衝撃的だと思います。ミルトンの「失楽園」の中で描かれる悪魔(サタン)と神の戦いの場面があります。強力な大軍を率いて攻め込むサタンに対して、山をも動かしサタンの大群を木っ端微塵にした神の力。津波の残した焼け野原のような現場の映像を見て、ミルトンのサタンと神の戦いの場面が重なりました。
震災は自然の叫び声のような気がします。身の回りの生き物に対しては共生を唱えながら、口を利けない自然に対しては未だに従属を強いています。森林伐採は続き、増え続ける二酸化炭素を商品のように売買する人間の都合が自然のバランスを崩しています。自然のバランスを保てるのはおそらく自然だけです。その自然のバランスを崩している我々は高慢そのものです。「想定外」のコメントしか出来ない人間の能力では自然には敵いません。「想定外」の力を持っているのですから。計画停電も列車の間引き運転も、間接的には津波が起こしている事象です。目に見えない津波が今でも起きています。これからしばらく続くでしょう。
震災の被災者の皆さんには、ただただ頭が下がります。私も辛抱します。津波が去るまで。
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